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〈title〉-ホースの白い馬-

人間なんて肉の塊

〈感想〉長谷敏司 My humanity

 「タイトルがめっちゃ哲学っぽくて好みだわ、しかもSFて何それ」って事でネットで見つけて速攻買いに走りました、My humanity、こういう意味深げなのって結構好き、というか大好物、おいどんもよく人間ってどこからどこまでが人間なんやろ、って禅問答みたく考えてみたりしてたから、勝手にタイトルに親近感感じてたしね、虐殺器官しかり、monument あるいは自分自身の怪物しかり、そういう概念考えてたことあるわー、あるあるーっていうタイトルってやっぱ惹きつけられるね、観念上の同族的なね、

特にallo,toi,toiって話がヤバイ、サイコパスリアルすぎてヤバイね、というか作者多分サイコパスやろ、(恐ろしくて恐ろしくてマジ震える)いやサイコパスでなかったとしてもこの想像力はヤバイ、ロリコンの恐ろしさというか犯罪者の発想がかなり極みがかっている。

簡潔すると、性犯罪者のチャップリン、、、じゃなくてチャップマンは(もしかして元ネタって…)囚人として日々同じく囚人の先輩方のお慰み者に(グスングスン、泣き…)ぶち殺したメグちゃんを想って自家発電に勤しむ勤勉者なのですが、そんなケチャップマンにお偉いさん方からニューロロジカル社が開発した最新型の精神病の為の治療具を与えられます、それがITPと云う、ぶっちゃければ人間の脳みそを自由に弄くれる機器を使ってアニマという幻想‥幻覚を精神病を治すために頭にブチ込まれるのです。頭にブチこまれたアニマがどうやってチャップマンを治療するかというとこれがまたいたたまれないほど単純で、チャップマンの全てを慰めてあげるのだ、それも殺したメグちゃんの姿でもって、絶対に叶うはずのない欲求を技術で満たしたといえばリアルだろうか、その愛?を作者は貧弱でふらついたーと一応否定的に形容しているがどうなのこれ?

 普段から空想好きな自分からするここっちまでいたたまれない気持ちにならなくもない、というか異常者だから距離があると思って読めるが、よくよく考えると耳が痛い話で、とてもじゃないけれど好きになれる話かと言われるとよく分からない。もっと鋭く言うなれば絶対的な愛など存在しないにもかかわらずそれを求め続ける人間の像だろうか。

 どんな人間だって本心では全てを肯定して欲しいと思っているに違いないし、だからなんとか犯罪に手を染めない程度で欲求を満たしてやってなんとか騙し騙しやっていくもんだが、チャップマンはそのタガが外れている、子供が人間にとって大切だから、子供も性愛の対象になり得るという、正常な人間から見ればおそらく異常な論理を展開していく、いえば純粋に愛されたいという欲求もあるし、愛されれば愛したい、と云う正常な面も持ち合わせているけれども、タガが外れる所はきっちり外れているというだけの話なのだが、いる場所が牢獄なだけあって結局己の業に居合わせて殺されてしまうのだ。つまりカオス理論、違うか。

My  humanityっていうタイトルに沿って解釈してみると、やっぱり壊れた人間の全てを否定することもできないと思うのね、チャップマンが俺だけじゃない、お前らみんな俺みたいになってもおかしくないんだぞ、っていうんだけれど、壊れた人間も元は赤子だったわけで、悪魔も天使だったのとは違うかもしれないけれど、過程に左右されるのも事実だから、自分は一人の人間に対して善か悪かって決めるには無理があると思うのね、共感能力ってあるから、正常なところもあるし壊れたところもある人間に対してすべきことってのは罪と罰なんて単純なものでなくて、素直に人間という生き物の限界を見定めて、対処することに尽きるんじゃないかなって思うね。そういうところに感情っていらないと思う。わからない人には断罪的だ自己的だって言われるだろうけれど、それも含めて肉体の限界だと思う。

 作者は最後の締めとして、言語でも理念でもなく物質的な距離だけが人々を守ってるって締めくくってるけれど、現実は全部存在してるよね、小説だからいいのかもしれないけれど、言語も理念も物質的距離も相対的に全て存在してる、どれかが守るわけでもどれかが守らないわけでもないんじゃないかな、その辺はまた考えてみても面白そうね。めちゃくちゃな内容だけど、面白そうだからやってみたという無邪気さが作品の売りなのかなとも思ってみたり、そう考えると相対性理論ってやっぱ偉大なのね。