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〈title〉-ホースの白い馬-

人間なんて肉の塊

〈考察/review〉映画/小説 伊藤計劃 虐殺器官「言葉という物質について」

 ハーモニーも屍者の帝国も伊藤氏が生きていれば笑ってしまうだろうと思うほど酷い出来だったが、今作は映像化するにあたって幾つもの手法を凝らしており声優の演技力にも十分圧倒された、原作を読了済の方は騙されたと思って是非今すぐ映画館で見てもらいたい。

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 「心臓や腸や肝臓が遺伝子によってあるべき形に作られているというのに、

 心だけが特権的に自由であることなど、ありえない」-伊藤計劃-

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図.1 顎をイジイジする伊藤氏

 虐殺器官という小説が何であるかといえばこの一言に尽きると思う、つまり、言葉や意識といった日本人的感性があやふやにしてきたホモ・サピエンスという名の動物に対する立ち位置を科学や歴史的事実に基づいて再度思考しようという訳だ。 

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 例えば日々の人間関係では様々な弊害が起こる、お互いに嫌われているのではないだろうかとピリピリした空気感が漂ったり、派手に言い争いが起こったり、大人になれば直接殴り合ったりすることは少なくても実際いじめは日本社会にしつこく残り続けている。

 だとして、私達に出来る事はなんだろうか 、伊藤計劃は言葉で人の脳は物質的に傷つき、怒りは何らかの殺意に他ならない、そして、感情をマスキングしようとも人間の行動は全て意思に起因するとしている。ピロウズというバンドの歌詞に次のものがある、

「引き金引くのは指じゃなく心、残り時間を吹き飛ばしたい衝動、

 それは間違いさ、きっと間違いさ」-山中さわお-

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図.2 同じく顎をイジイジする山中氏

 伊藤計劃の意見とリンクする部分がある、物事の所在は心にあり、「全てを終りにしてしまいたい衝動」をきっと間違いさ、とボーカル山中さわおが諭すかなりシリアスな歌詞である。

  思考することの本質とは複雑な現実からシンプルな答えを導き出すことにある、そうする事で無駄な情報を脳が省き圧縮され思考が軽くなる。きっと現代人の人間関係の希薄さの一因はこれまでの人生を熟考し、シンプルな答えを求め人間が成長しようとしているからに他ならないのではないか、

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 そしてこの唄は「先入観でくすんだ未来図も塗り変わっていく、明日が今日になってハッピーバースデー」と祝福の言葉で結ばれる。

 不安という言葉はこの平和な日本においてもついて回り、くすんだ先入観は私たちの脳内から消えることがない、しかし未来という今に希望を託すというリラックスした心境という明らかに矛盾した言葉同士を独自の旋律でもって繋ぎ止めている。

  一方、伊藤計劃の物語はアメリカを地獄へ引きずり下ろし、自分自身を罰することを決断し物語は幕を降ろす、最後の言葉は「ここ以外の場所は静かだろうなと思うと、気持ちが少し和らいだ」である。なぜこの言葉を吐いたのか、この矛盾しきった言葉を一体全体何が繋ぎ止めているというのか、この言葉には違和感を感じた読者も多いはず、この主人公の心境は全体に渡って非常に間接的にしか明かされていない、虐殺の文法の結果と捉えることもできるし、以下のブログのように生の実感の為の詐称であると受け取ることもできる。

http://animegaroom.com/gyakusatukikan/

 しかし、作者自身の最も単純な本音と受け取ることはできないだろうか、明確な答えとして、作者は自身がかなりの確率で死に至ることは知っていたのだ、ガンとの闘病生活の中で生存/自己の為に精一杯の思考を巡らした後それでも外は静かだろう、と一時的には楽観的になれた、案外人生の最も苦しい時期に成すべき事を成した後にぽっと出た一言だったのではないだろうか?主人公のクラヴィスも為すべき事を為しこの言葉がふっと湧いて出たのではないだろうか。

自分の命には意味があったという念であり、生まれ持った性に対する明言ではないか、

「それぞれの命にそれぞれの役割が存在する、どれ一つとして欠けはしなかった、

 時が存在するが故に」

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 それと、死んだからあの作品は素晴らしいのだという人もいるがそれは絶対に違うと言いたい、その人にしか成しえない人生/仕事がありそれを垣間見ることができたから素晴らしいと感じられる、だからこそ病棟で一人の男が書き上げた小説が34万部売れアニメ映画化まで果たせた、「貴方にも出来る事が或る」と勇気付けられる死んだ男からのメッセージだ。

 まだ読んでいないなら、すぐ手にとって一ページ目を開いてほしい、伊藤計劃というこれまでの歴史にはいなかったはずの人物がそこに在る。この本は僕の人生にとっても非常に興味深いので、一生涯読み続けると思う。

 これから日本は少子高齢化が決定的になり、TPPも発行されるかもしれない、これまでの歴史にはなかったことが容易に起こり続ける社会だ、相変わらず幾つかの先進国はとんでもない量の核を保有していて、紛争も続いている、日本人がisisに虐殺された記憶も人々の記憶には残っているだろうか。電子デバイスを用いて大量の情報に触れる時代が訪れたが、明らかになればなるだけ理解できないことが増え続けているだけではないか?

 社会の人間関係は希薄化していき、人と人の間を埋める言葉がどんどん情報に埋もれていく、果たしてそれは新しい時代に対する現代人の学習行為だろうか、それとも思考に何らか歪な毒(化学物質、生活習慣病、人間という進化の限界等…)が混ぜられた結果生じた死に至る狂気のダンスに過ぎないのだろうか?伊藤計劃は二作目ハーモニーのインタビューにおいて「本当にそれがいい世界であるのかどうかは後の検証を待たなければならない」と語っているが、いかなる時代でも世界を作ろうとする者の意思には何らかの確信があるのではないか?彼には物語は人に宿るという確信があった、其れ故にこの物語は私たちの時代を示す数少ないリアルではないだろうか。