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〈title〉-ホースの白い馬-

人間なんて肉の塊

この世の全てが芸術になりますように、

 文章が書いてみたい、綺麗なものとか綺麗じゃなかったものとか、愛されないものとか愛されたものとか、もっと自意識的にやりたい、感覚っていうのを大切にしたい、たくさんの言葉を食べてしまいたい、今は朝だから書く事何にも浮かばないけど、物語が欲しい、自分にもワクワクして楽しい日常が欲しい、なんでこんなにないんだろう、頭が壊れているからですか?どうすればよかったんだろう、わかんないけど、芸術がどうしようもなく愛おしいです。

 音楽と小説と絵画と、他にも色々、仕事も全部後のことは全部嫌い、女も嫌い、嫌な奴も、嫌なことも、だから思うんですが、この世の全てが芸術になれますように、なったら素敵だろうなぁって思うんですよ、芸術に腰掛けて生きていたいって思うんですよ、だから、なんでこんなに素敵なものがあるのに誰もそんな風に生きようとしないのか、芸術みたいになりたい、だからあなたも毎日言葉を綴りってみませんか?

〈独走〉 言葉は無力か?

copywriterseyes.hatenablog.jp

 

最近気になったので、言葉に力なんてないんだっていう空想を見たので、一応意見したい、こういうのって結構なんに対しても起こることだと思うね、何か一つだけを見てやっぱり無意味だった力なんてなかったっていう理論。

 

ちゃんと言うべき場所でありがとうと言えば、言葉以外では伝えられない感情が伝うことは往々にしてあるし、言葉に力がないというよりトランプカードで作る山みたいなもんで一枚ではどうしたって立たせるには無理があるってだけの話だと思うのね、どんな作品も、音楽にしたって絵画にしたって、それ以外の日常があるから成り立つものであって、会話をせずに音楽だけを聞き続けて育った子供がいれば間違いなく精神に異常をきたすだろうし、実際の山も見ずに絵画だけを見て感動できるかって言ったら間違いなくNoでしょう、情報があふれて下らないことを言う人がやたらめったら増えているけれど、現実世界がある限り、何でもかんでも言えば正しくなるってものではない。だから言葉の力を信じないってタイトルなんだろうけど、ちょっと言葉足らず、というか思考が足りなさすぎるんじゃないかな、とも思ってみたり。

 何かだけを切り捨てようとしている人は間違いなく全てを切り落とすことになる。人間の脳みそってそんなに器用にできてないと思う。つまり全てでもって力となすってことなんじゃないかな。

〈感想〉長谷敏司 My humanity

 「タイトルがめっちゃ哲学っぽくて好みだわ、しかもSFて何それ」って事でネットで見つけて速攻買いに走りました、My humanity、こういう意味深げなのって結構好き、というか大好物、おいどんもよく人間ってどこからどこまでが人間なんやろ、って禅問答みたく考えてみたりしてたから、勝手にタイトルに親近感感じてたしね、虐殺器官しかり、monument あるいは自分自身の怪物しかり、そういう概念考えてたことあるわー、あるあるーっていうタイトルってやっぱ惹きつけられるね、観念上の同族的なね、

特にallo,toi,toiって話がヤバイ、サイコパスリアルすぎてヤバイね、というか作者多分サイコパスやろ、(恐ろしくて恐ろしくてマジ震える)いやサイコパスでなかったとしてもこの想像力はヤバイ、ロリコンの恐ろしさというか犯罪者の発想がかなり極みがかっている。

簡潔すると、性犯罪者のチャップリン、、、じゃなくてチャップマンは(もしかして元ネタって…)囚人として日々同じく囚人の先輩方のお慰み者に(グスングスン、泣き…)ぶち殺したメグちゃんを想って自家発電に勤しむ勤勉者なのですが、そんなケチャップマンにお偉いさん方からニューロロジカル社が開発した最新型の精神病の為の治療具を与えられます、それがITPと云う、ぶっちゃければ人間の脳みそを自由に弄くれる機器を使ってアニマという幻想‥幻覚を精神病を治すために頭にブチ込まれるのです。頭にブチこまれたアニマがどうやってチャップマンを治療するかというとこれがまたいたたまれないほど単純で、チャップマンの全てを慰めてあげるのだ、それも殺したメグちゃんの姿でもって、絶対に叶うはずのない欲求を技術で満たしたといえばリアルだろうか、その愛?を作者は貧弱でふらついたーと一応否定的に形容しているがどうなのこれ?

 普段から空想好きな自分からするここっちまでいたたまれない気持ちにならなくもない、というか異常者だから距離があると思って読めるが、よくよく考えると耳が痛い話で、とてもじゃないけれど好きになれる話かと言われるとよく分からない。もっと鋭く言うなれば絶対的な愛など存在しないにもかかわらずそれを求め続ける人間の像だろうか。

 どんな人間だって本心では全てを肯定して欲しいと思っているに違いないし、だからなんとか犯罪に手を染めない程度で欲求を満たしてやってなんとか騙し騙しやっていくもんだが、チャップマンはそのタガが外れている、子供が人間にとって大切だから、子供も性愛の対象になり得るという、正常な人間から見ればおそらく異常な論理を展開していく、いえば純粋に愛されたいという欲求もあるし、愛されれば愛したい、と云う正常な面も持ち合わせているけれども、タガが外れる所はきっちり外れているというだけの話なのだが、いる場所が牢獄なだけあって結局己の業に居合わせて殺されてしまうのだ。つまりカオス理論、違うか。

My  humanityっていうタイトルに沿って解釈してみると、やっぱり壊れた人間の全てを否定することもできないと思うのね、チャップマンが俺だけじゃない、お前らみんな俺みたいになってもおかしくないんだぞ、っていうんだけれど、壊れた人間も元は赤子だったわけで、悪魔も天使だったのとは違うかもしれないけれど、過程に左右されるのも事実だから、自分は一人の人間に対して善か悪かって決めるには無理があると思うのね、共感能力ってあるから、正常なところもあるし壊れたところもある人間に対してすべきことってのは罪と罰なんて単純なものでなくて、素直に人間という生き物の限界を見定めて、対処することに尽きるんじゃないかなって思うね。そういうところに感情っていらないと思う。わからない人には断罪的だ自己的だって言われるだろうけれど、それも含めて肉体の限界だと思う。

 作者は最後の締めとして、言語でも理念でもなく物質的な距離だけが人々を守ってるって締めくくってるけれど、現実は全部存在してるよね、小説だからいいのかもしれないけれど、言語も理念も物質的距離も相対的に全て存在してる、どれかが守るわけでもどれかが守らないわけでもないんじゃないかな、その辺はまた考えてみても面白そうね。めちゃくちゃな内容だけど、面白そうだからやってみたという無邪気さが作品の売りなのかなとも思ってみたり、そう考えると相対性理論ってやっぱ偉大なのね。

 

〈考察/review〉映画/小説 伊藤計劃 虐殺器官「言葉という物質について」

 ハーモニーも屍者の帝国も伊藤氏が生きていれば笑ってしまうだろうと思うほど酷い出来だったが、今作は映像化するにあたって幾つもの手法を凝らしており声優の演技力にも十分圧倒された、原作を読了済の方は騙されたと思って是非今すぐ映画館で見てもらいたい。

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